ナルシシズムの煮物に寄せて
用事、というか、ポストにものを投函しなければいけなかったので、ついでに出掛けた。いやなこと、というか、精神が摩耗するようなことが立て続けに起こったので、そうだ、もう、飲もう、と思った。
だから飲んできた。軽くね。帰り際、ポストにものを投函しなければいけないことを思い出したのでコンビニに立ち寄った。ついでに、フォロワーが最近、短歌でユニットを組んでネップリ出したよ、と言っていたのを思い出したので刷った。私はそのへん利己的なので、他人の活動にちょっかい出していれば自分の活動にもちょっかい出してもらえるだろうと思っている節がある。
帰って読もう、と思って、用事を済ませて、家人のおつかいも済ませて、帰ってきた。帰ってきて、荷物を片付けるのもそこそこにネップリに目を通した。
オリオンのかみ 第一回「酒」
大きな明朝体でそう刷られていて、その下に縦書きでびしっと文字。酔っていたので、え、これ短歌?とまず思った。短歌ってもっと行間空いてるイメージあったので。まあ、可読性とか、三人で十首ずつとか、いろいろ考えたらこうなるのは納得なんだけども。
で、読んだ。ああ、やっぱ好きだなあ、と思った。思ったので、いま、これを書いている。ちなみにテーマの「酒」とは関係がないが、ちゃんと飲み直している。ブラインドアーチャーのお湯割りと、カルディで安くなってたブラックオリーブ。
だからどうか以下の内容は(以上の内容もだけれど)、酔っぱらいの戯言だと思って聞き流してほしい。あと、夏山さんの短歌についてしか言及してないので、そこんところも許してほしい。
***
他人としゃべるのが大好きな私は、「今日はもうひとりで過ごしたいな」みたいなタイミングはまずない。誘ってもらえたら今すぐにでも飛んでいって遊びはじめるだろう。遊びに対しては貪欲というか、タフなので。
そのあたり対極とも言うべきフォロワーがいて、私たちは「社交性の残機」と呼んでいるのだけれど、彼女、夜にはそれが残っていないこともままある。なので誘うたびにまあまあの確率でフラれているのだけれど、別に嫌われているわけじゃないことを知っているので気にしてはいない。
夏山栞さん。
別方面からつながったので、歌人としての顔をよく知っているわけではない。けど、今は彼女の短歌の話がしたいのでこの名前で呼ばせていただくことにする。
当たり前だけど、私と夏山さんは違う人だ。別人だ。だからこれまで経験してきたことも違うし、趣味とか、同じものを見て感じることもたぶんぜんぜん違う。いや、当たり前なんだけど。夏山さんに対しては特にそう思うのだ。あ、この人とはわかりあえないな、と。
具体例をひとつ挙げると、私も夏山さんも映画が好きだけれど、私は夏山さんが絶賛した映画については観ないことに決めている。趣味が合わないからだ。というか、夏山さんの絶賛ツイートを読めば読むだけ「え、私は別にいいかな……」という気持ちが募る。ぜんぜん面白そうという気分にならない。
趣味が合わないからだ。
じゃ、嫌いかというと、もうぜんぜん好きなのだ。わかりあえないなあ、この人とは考えが違うなあと思うけど、それはそれとして私は夏山さんが好きだ。推してると言ってもいい。趣味は合わないけど、話してると楽しいし、趣味が合わないぶん、私の知らないことをたくさん知っていて興味深い。同じ映画は観ないけど、まだまだ彼女と友達でいたいと思っている。
***
感想を書くのが苦手なので、本題に入るまでずいぶん行数を費やしてしまった。なんにしたって「読めば書いてあるじゃん」と思ってしまうので、感想を書くどころか、自分の考えをまとめて書くことすら、ほんとうに苦手なのだ。でも、書かなければ伝えることができないので、がんばって感想を書いて見ようと思う。
傷ついている人が好きだ。
というと大いに語弊があるけれど、でも、そうなんだと思う。私は傷ついている人が好きだ。傷ついていて、でもへこたれないで抗い、戦い、けっして立ち止まらない人が好きだ。
夏山栞さんの「ナルシシズムの煮物」を拝読した。
私は短歌については浅くしか知らないので、技法あたりについては言及できない。でも、一首めからもう傷ついているということはわかる。
今日だけはぜんぶ断るわたしとの約束だってちゃんと先約
「わたしとの約束だってちゃんと先約」というからには、この主体(と、短歌の世界では言うらしい。小説の世界では主人公と言う)は、「わたしとの約束」は「先約ではない」という扱いを受けているのだろう。
誘いを断る。え、なんか約束あんの、と訊かれる。別にないですけど。じゃあ、来れるじゃん。容易に想像がつく。でも、「わたしとの約束だってちゃんと先約」なのだ。主体はきっぱりと誘いを断って、ひとり、帰路につく。
たったこれだけのことが、現代日本、どれだけ難しいだろうか。それでも、どんなに難しくとも、相手の機嫌を損ねようとも「今日だけはぜんぶ断る」のだ。
こうやって一個ずつ解説を書いていくのはむず痒いので勘弁してほしい。感想を書くのがほんとうにほんとうにほんとうに苦手なのだ。だって読めばわかるじゃん、この31音にきちんと書いてあるのに、どうして今さら引き延ばす意味があるだろうか。いいから自分でぜんぶ読め。私は続きを書くから。
愛が食卓にあるならこの煮物はナルシシズムってやつなんだろう
俗説とか、論拠のない主張、 そういうものに惑わされないことは体力を使う。大衆の流れのなかでしっかり直立することはとてもむずかしい。でも、ひとりきりの部屋で、私が私のために作った煮物をつつきながら皮肉を言うぐらいは許されるだろう。
それにこの歌はどこにもその表記がないのに「主体は一人暮らしをしている」ということがわかるのですばらしい。これは持論だが、あらゆる説明は邪悪だ。
ねえわたし昇進したよいじわるな男の子にも負けなかったよ
これは連作の流れのなかで読まないとまるで意味がないのだけれど、好きだから言及させてほしい。幼い頃なら無条件に認められ、褒められていたであろうことも、ひとりの部屋ではただそれだけだ。
傷ついている人が好きだ、と書いた。傷ついて、負けずに、抗っている人が好きだ。でも、好きな人が傷ついていると悲しくなってしまう。でも、この主体は別に私に褒められたいわけではない(彼女が認めてほしい相手は、連作のなかにきちんと登場している)。私の出る幕はない。彼女を救うことはできない。
悲しくなって、悲しくて、だから好きなんだと思う。
感情を揺り動かされるとき、その方向性はいろいろにあるんだろう。私だって別に好き好んで悲しくなりたいわけじゃない。しかし、悲しくて、でも負けない彼女のことが好きなのだ。そういう作品を生み出す夏山さんのことも。
***
全作品、三十首、拝読した。すべてそれぞれの人格が出ていて読み応えのあるものだった。でも、人となりを知っているという部分もあるけれど、やっぱり、夏山さんの作品がもっとも好きだな、と感じた。傷ついていて、諦めなくて。どちらかというと分が悪い勝負なのだ、それは。負けてしまったり、流されてあいまいに笑わなければいけないことがあるかもしれない。でも、諦めない。反抗の機会を伺っている。
私にはこういうことはできない。そんな作品は書けないし、誰かの感情を揺さぶることもできない。だが諦めるわけにはいかないので、いつかどこかで、誰かの感情を揺さぶることができたらいいな、と思いながら私なりに文字を綴っている。
だから飲んできた。軽くね。帰り際、ポストにものを投函しなければいけないことを思い出したのでコンビニに立ち寄った。ついでに、フォロワーが最近、短歌でユニットを組んでネップリ出したよ、と言っていたのを思い出したので刷った。私はそのへん利己的なので、他人の活動にちょっかい出していれば自分の活動にもちょっかい出してもらえるだろうと思っている節がある。
帰って読もう、と思って、用事を済ませて、家人のおつかいも済ませて、帰ってきた。帰ってきて、荷物を片付けるのもそこそこにネップリに目を通した。
オリオンのかみ 第一回「酒」
大きな明朝体でそう刷られていて、その下に縦書きでびしっと文字。酔っていたので、え、これ短歌?とまず思った。短歌ってもっと行間空いてるイメージあったので。まあ、可読性とか、三人で十首ずつとか、いろいろ考えたらこうなるのは納得なんだけども。
で、読んだ。ああ、やっぱ好きだなあ、と思った。思ったので、いま、これを書いている。ちなみにテーマの「酒」とは関係がないが、ちゃんと飲み直している。ブラインドアーチャーのお湯割りと、カルディで安くなってたブラックオリーブ。
だからどうか以下の内容は(以上の内容もだけれど)、酔っぱらいの戯言だと思って聞き流してほしい。あと、夏山さんの短歌についてしか言及してないので、そこんところも許してほしい。
***
他人としゃべるのが大好きな私は、「今日はもうひとりで過ごしたいな」みたいなタイミングはまずない。誘ってもらえたら今すぐにでも飛んでいって遊びはじめるだろう。遊びに対しては貪欲というか、タフなので。
そのあたり対極とも言うべきフォロワーがいて、私たちは「社交性の残機」と呼んでいるのだけれど、彼女、夜にはそれが残っていないこともままある。なので誘うたびにまあまあの確率でフラれているのだけれど、別に嫌われているわけじゃないことを知っているので気にしてはいない。
夏山栞さん。
別方面からつながったので、歌人としての顔をよく知っているわけではない。けど、今は彼女の短歌の話がしたいのでこの名前で呼ばせていただくことにする。
当たり前だけど、私と夏山さんは違う人だ。別人だ。だからこれまで経験してきたことも違うし、趣味とか、同じものを見て感じることもたぶんぜんぜん違う。いや、当たり前なんだけど。夏山さんに対しては特にそう思うのだ。あ、この人とはわかりあえないな、と。
具体例をひとつ挙げると、私も夏山さんも映画が好きだけれど、私は夏山さんが絶賛した映画については観ないことに決めている。趣味が合わないからだ。というか、夏山さんの絶賛ツイートを読めば読むだけ「え、私は別にいいかな……」という気持ちが募る。ぜんぜん面白そうという気分にならない。
趣味が合わないからだ。
じゃ、嫌いかというと、もうぜんぜん好きなのだ。わかりあえないなあ、この人とは考えが違うなあと思うけど、それはそれとして私は夏山さんが好きだ。推してると言ってもいい。趣味は合わないけど、話してると楽しいし、趣味が合わないぶん、私の知らないことをたくさん知っていて興味深い。同じ映画は観ないけど、まだまだ彼女と友達でいたいと思っている。
***
感想を書くのが苦手なので、本題に入るまでずいぶん行数を費やしてしまった。なんにしたって「読めば書いてあるじゃん」と思ってしまうので、感想を書くどころか、自分の考えをまとめて書くことすら、ほんとうに苦手なのだ。でも、書かなければ伝えることができないので、がんばって感想を書いて見ようと思う。
傷ついている人が好きだ。
というと大いに語弊があるけれど、でも、そうなんだと思う。私は傷ついている人が好きだ。傷ついていて、でもへこたれないで抗い、戦い、けっして立ち止まらない人が好きだ。
夏山栞さんの「ナルシシズムの煮物」を拝読した。
私は短歌については浅くしか知らないので、技法あたりについては言及できない。でも、一首めからもう傷ついているということはわかる。
今日だけはぜんぶ断るわたしとの約束だってちゃんと先約
「わたしとの約束だってちゃんと先約」というからには、この主体(と、短歌の世界では言うらしい。小説の世界では主人公と言う)は、「わたしとの約束」は「先約ではない」という扱いを受けているのだろう。
誘いを断る。え、なんか約束あんの、と訊かれる。別にないですけど。じゃあ、来れるじゃん。容易に想像がつく。でも、「わたしとの約束だってちゃんと先約」なのだ。主体はきっぱりと誘いを断って、ひとり、帰路につく。
たったこれだけのことが、現代日本、どれだけ難しいだろうか。それでも、どんなに難しくとも、相手の機嫌を損ねようとも「今日だけはぜんぶ断る」のだ。
こうやって一個ずつ解説を書いていくのはむず痒いので勘弁してほしい。感想を書くのがほんとうにほんとうにほんとうに苦手なのだ。だって読めばわかるじゃん、この31音にきちんと書いてあるのに、どうして今さら引き延ばす意味があるだろうか。いいから自分でぜんぶ読め。私は続きを書くから。
愛が食卓にあるならこの煮物はナルシシズムってやつなんだろう
俗説とか、論拠のない主張、 そういうものに惑わされないことは体力を使う。大衆の流れのなかでしっかり直立することはとてもむずかしい。でも、ひとりきりの部屋で、私が私のために作った煮物をつつきながら皮肉を言うぐらいは許されるだろう。
それにこの歌はどこにもその表記がないのに「主体は一人暮らしをしている」ということがわかるのですばらしい。これは持論だが、あらゆる説明は邪悪だ。
ねえわたし昇進したよいじわるな男の子にも負けなかったよ
これは連作の流れのなかで読まないとまるで意味がないのだけれど、好きだから言及させてほしい。幼い頃なら無条件に認められ、褒められていたであろうことも、ひとりの部屋ではただそれだけだ。
傷ついている人が好きだ、と書いた。傷ついて、負けずに、抗っている人が好きだ。でも、好きな人が傷ついていると悲しくなってしまう。でも、この主体は別に私に褒められたいわけではない(彼女が認めてほしい相手は、連作のなかにきちんと登場している)。私の出る幕はない。彼女を救うことはできない。
悲しくなって、悲しくて、だから好きなんだと思う。
感情を揺り動かされるとき、その方向性はいろいろにあるんだろう。私だって別に好き好んで悲しくなりたいわけじゃない。しかし、悲しくて、でも負けない彼女のことが好きなのだ。そういう作品を生み出す夏山さんのことも。
***
全作品、三十首、拝読した。すべてそれぞれの人格が出ていて読み応えのあるものだった。でも、人となりを知っているという部分もあるけれど、やっぱり、夏山さんの作品がもっとも好きだな、と感じた。傷ついていて、諦めなくて。どちらかというと分が悪い勝負なのだ、それは。負けてしまったり、流されてあいまいに笑わなければいけないことがあるかもしれない。でも、諦めない。反抗の機会を伺っている。
私にはこういうことはできない。そんな作品は書けないし、誰かの感情を揺さぶることもできない。だが諦めるわけにはいかないので、いつかどこかで、誰かの感情を揺さぶることができたらいいな、と思いながら私なりに文字を綴っている。
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